早稲田の穴八幡 靖国神社 愛宕神社二百五十二日目
今日も日曜日は明大前にグレーシー柔術のお稽古へ。今日は日中暖かったですね。バイクもまだ楽です。
本当は、今日練習の後にバイクの半年点検に持って行きたかったのだけど、今日は一杯だって。
早稲田の穴八幡
それで、道場の帰り思い立って早稲田の穴八幡に立ち寄りました。
新宿区ですが、都内の神社の中でも強い清涼な神気を感じます。
ここに最初に訪れたのは今年の9月28日でした:
本殿正目の鳩の彫刻、とても美しいですね
拝殿を外から
放生寺
今日はこれまで訪ねたことがなかったお隣の放生寺へゆきましたよ。
名称 威盛院 光松山 放生寺 宗派 高野山真言宗 寺格 準別格本山 創建 寛永十八年(1641年) 開創 良昌上人 放生寺は寛永十八年、威盛院権大僧都
良昌上人 が 高田八幡(穴八幡)の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺です。
神仏習合の時には神宮寺という神社にあるお寺があったのですね。
別当寺は、
神宮寺の一種。神社境内に建てられ、別当が止住し、読経・祭祀(さいし)・加持祈祷とともに神社の経営管理を行なった寺。
神宮寺 神社に付属して建てられた寺院。神仏習合思想の現れで、社僧(別当)が神社の祭祀 を仏式で挙行した。 1868年(明治1)の神仏分離令により廃絶または分離。 宮寺。別当寺。神護寺。神宮院。神願寺。
虚空尽き 衆生尽きなば 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん
世界が尽きるまで、迷える衆生が尽きるまで、さとり(衆生を救う行)の尽きるまで、永遠に仏に祈りつづけたい。空、衆生、さとりが尽きれば、わたくしの願いも尽きるであろう。
弘法大師は今も小股人を助けながら旅を続けているという
この像の周りは四国八十八カ所霊場のお寺の砂が置かれているそうです。
四国お砂踏み霊場 落成式 − 一陽来福 放生会の寺 高野山真言宗 放生寺
ご真言「
もちろん、唱えながら回りました~
「役の行者」をまつる神変大菩薩のお堂
それから、バイクで帰路につきます。新宿通にでたので靖国神社に行くことにしました
境内には来年の干支、酉の額が掲げられていました
実は初めて穴八幡に詣でたときも、その後に靖国神社へお参りしました。ちょうどミライトテラスの日で、本殿の特別参拝に参加してその荘厳さに戦慄しました。
その後、新橋経由で愛宕神社へお参りしました。昨日が二百五十一日目で、本日が二百五十二日目でした。
愛宕神社へ着いたのは午後5時少し前で、もうすっかり日没後でした。その時間に来ていた親子連れがいました。
子供は着物だったので12月に入っていますが七五三なのかって思った、あるいは何かの家族行事の帰りなのかも知れない。
しかし一切社務所通している様子でなく、拝殿の前に陣取って写真撮影を始めましたよ。
まだ午後五時までにわずかに時間があるので社務所は未だ開いているのだが。
仕方が無いので、末社から先に周り、いつもとは反対の順番で参拝して本殿へ戻ってきた。
それでも、この家族ずっと拝殿前で写真を撮っている。
この人たちは神社ではただ単に記念写真を撮れれば良いのであろうよ。
他に待っている人もいたが、わたくしは構わずに横から回って参拝した。
すると、その一行のおばさんが、「わー、ここ、夜もお参りするんだ~っ」て口に出して言った。
「そうですよ、ここは夜間もお参りする場所ですよ。それにまだ社務所も開いているしね。あなた方もこの時間にお参りに来たのではないのですか?それとも、あなたがた、日が暮れているから自分たちの撮影のために独占できるって了見ですか~?」
って思いますよ。
どうも最近、神社の参拝者、訪問者の態度が気になることが多い。中には、はっきりと挨拶をしてくる方や、マナーの良い人、所作の優れた人もおられるのだけどね。
神社はあまり混んでいない時に静かに参拝したい。とくに普段から頻繁に行く神社は早朝か夜間の方が落ち着くな~。
ともあれ、今日も聖なる場所を回れて感謝です。
過日の聖なる場所巡りをまとめて 四谷、津の守弁財天 愛宕神社 元麻布氷川神社 小山八幡 調布の布多天神
11月26日土曜日は朝から仕事で新宿に行きましたよ。
仕事は午前中にすんなり終わって、その帰り道丸ノ内線を途中の新宿御苑で降りて「志な乃」でけんちんそばを頂きました~
ここのけんちんそば、けんちん汁は今時の寒い時期には本当にお勧めです。
それから新宿通を四谷方面へ歩きます。
テクテク歩いていると、古びた繁華街へ進む道の奧に弁天池があるようです。そちらを探訪することにしました~
飲み屋街を抜けて入り組んだ道が続いています。
下の写真は古い石畳を下った元来た道
坂を下りたところの左手が池になっていて弁天様の小さな祠があります。
こんなところに池と弁天様の祠があるのは意外です。
ちょっと異空間的な感じのするスペースです。
「津の守弁財天」っていうのですね。
この池のあたりは公園になっています。
そして向かいには古い料亭のような建物がありましたよ。
また、この一帯は新宿通のある表通り側からはかなり低くて谷なっています。
そのまま四ツ屋の駅まで歩いて、地下鉄で自宅へ戻りました~
愛宕神社の千日詣(通算二百五十回目!)
先週京都から戻った翌日、11月25日金曜日のお昼に港区の愛宕神社へ行きました。
その日が今年の1月下旬から参拝の日数を数え始めてから二百四十八回目。
社務所裏のネコさん、「ちゃーです」と書かれていますが、実際は白猫の「しず」です。
「ちゃー」の新しい段ボール箱の寝床をぶんどったのですかね~
こちら↓が当日、NHK放送博物館の広場にいた三毛の「ちゃー」です
もうかなりの老猫です。夏場に弱っていましたがまた元気になったみたい。
この2匹は、あまり仲が良いわけでもないようですが、、、
その後、26日土曜日にも愛宕神社へお詣りしました~二百四十九回目!
この季節は婚礼シーズンなのですね。
NHK放送博物館側からの紅葉
駐車場側から本殿へ向けての写真、境内のモミジが紅葉していますね
そして、このブログを書いている本日11月30日水曜日も夜10時頃に愛宕神社へお参りしました~これで通算二百五十回目!
250回も来ると毎回写真を撮るのはよしました~
下は26日土曜日に訪れた地元、
元麻布の氷川神社の蔵(?)でっす
ここに毘沙門天があるのですかね~
この日26日土曜日は、夕方に東急西小山の方へ出かけました。
そちらの小山八幡神社へお参りしましたよ
他にも撮ったけど、暗くてスマホの写真では光が弱くて殆ど写っていませんでした。
その翌日の27日日曜日は調布に行きました~
ちょうど水木しげるさんの一周忌「ゲゲゲ忌」のイベントをやっていましたよ。
上は水木事務所の近くの展示通り商店街見つけたポスター
下の、
布多天神社がイベントの会場になっていました
NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の美男美女よりも↑が現実に近いのだろう、、、
、、「ねえ、水木せんせい?」
なんだか趣を感じた境内の祠 ↓
布多天神の本殿
神楽殿で「ゲゲゲの鬼太郎」の上映会やっていました~
先週後半からの東京での聖なる場所を巡るでした~
紅葉の京都で聖なる場所巡り大徳寺と今宮神社、八瀬の九頭竜大社の秋期大祭
前泊したホテルから京都のホテル事情を長々書いて遅くなりました~
最近の京都のホテル料金について 2016.11.25 - 一期一会を旨として臨むichigoサポートの日記
2016年11月24日木曜日の京都での聖なる場所を巡る日記です。
先週、お会いした知人が知人が京都の大徳寺で紅葉を観てきたというお話しをお聞きしました。
その話が面白くて、また最近わたくしが月に二度座禅へ行っている地元のお寺さんが臨済宗大徳寺派の禅寺ですのでそちらへ行くことにしました。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
ここは観光バスなどが止まれる広い駐車場からの入り口に当たるところです。
入り口の山門をくぐるとすぐに山門 (金毛閣)があります
境内は石畳になっています。そのまま気ままに歩きました~
この時間は、まだ観光客もそれほど多くなくてナイス!
紅葉、特にモミジが赤くて美しかったですよ
今回はデジカメを忘れてしまい撮影は全てスマホです
ちょっと露出が強すぎるな~
この一期一会↓は、観たことがあります。わたしが個人事業の屋号を決めて図書館でこの揮毫を見つけたと思います。今度確認しまっす。
ここ大徳寺は多くの塔頭があります。
塔頭(たっちゅう)は、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院。門徒らによって立ち並ぶ塔の中でも首座に置かれたこと、あるいは、門徒らが塔のほとり(=「頭」)で守ったことから塔頭と呼ばれたなどの説がある。
大徳寺は塔頭24を有する[3]。2015年現在、大部分の塔頭で一般参詣を認めておらず、常時拝観可能な塔頭は龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院である。
それで、最初に行き当たった「大仙院」を拝観させて頂きましたよ
拝観ができる四つの塔頭の一つです。なんとなくウェルカムな雰囲気があります。
〈国宝〉玄関でっす
こちら今の入口です
内部は撮影禁止!
国宝
拝観料を支払って、御朱印をお願いしてから中へ入ります。ここの奥さんかお嬢さんでしょうか感じの良い女性が中をガイドしてくれました~
内部は廊下づたいにお庭があって、それが山からの水が川となり大河となってやがて大海に至る様を表しているそうです。
それは人生や修行者の成長をを示しているのだって。
それから、千利休と豊臣秀吉が使った茶室がそのまま残っていました。そこに入ったときは鳥肌が立つ感覚を覚えましたよ。
また本堂では座禅会も行っているそうです。是非とも今度機会があれば参禅させて頂きたく思います。
気は長く 心は丸く 腹立てず 人は大きく 己は小さく
拝観中にあった掛け軸の書と同じ文字です。これいいな~って思ったのですよ、そうしたら、授与品であったので頂いて参りました~
大仙院の御朱印
堂々たる揮毫ですね。さすが国宝を多く有する禅寺です。
大徳寺中を歩いていると朱い鳥居が目につきました。そちらへ行ってみるとそこは今宮神社でした。
さすが京都、大徳寺のすぐ裏手?面してこんな立派神社があるのですね~
人型を修めてきましたよ
東京では数が少ない月読神社がありました。かなり雰囲気があります。
今宮の奇石 阿呆賢さん(あほかしさん)
説明書きの通り、三回叩いて持ち上げると軽くなりました~
境内をだいたい回って八瀬で祭典まであまり時間も無いので一旦大徳寺へ戻ります。
今宮神社の御朱印
大徳寺に戻ってくるとお昼を回った頃で、観光客がかなり増えてきました。ここはまた改めてこようと思いバスで大徳寺を出て、八瀬へ行くバスが通る出町柳へ向かいました。
モミジが一枚
出町柳駅そばのカフェで軽くランチしていたらバスが行ってしまいました~
それでやむなくタクシーで九頭竜弁財天を目指します。タクシー代は思ったよりもかからずに二千円ちょっとで済みました。
オンタイムで九頭竜大社に到着。そろそろ式典が始まります。
この日はこの神社の発祥した日の11月24日に当たり、秋季大祭です。
今回がはじめての参加ですが、護摩壇のような物準備されています。
中には護摩木が重ねられています。その辺が油くさいのは燃焼用に油が使われているのかも知れません。
こちらが九頭竜大社の本殿です。
こちらは本殿の横にある雅楽殿。まさに雅楽隊が演奏しております
いくつかの祝詞を上げて祝典は進み、いよいよ護摩がはじまりました。
このどこかに前回わたくしが来たときにお納めした祈願の書かれた護摩木が入っています。
護摩は本来は仏教の密教の修法であるので、密教や修験道で行われるが、神道の神社の一部でも護摩が実施される。もともと神仏習合だった権現社や宮が、明治維新の神仏分離(神仏判然令)によって寺院を別の法人として改組した事例も少なくないが、現在でも神社において神職や山伏による護摩祭が続いていることがある。
以前、阿含の星祭りっていうのが流行ってことを覚えています。
今もあるのですね。
その炎が何かを表していると言うことだった思います。
ここでも炎は龍とかなそんな風に見える気がします。
こちらの写真の炎は、中央部になんとなく黒い梵字が浮き出ているようにも見えます
祭典が終わってから、わたくしはゆっくりとお千度(本殿を9周まわりながら祈願します)
を行ってからバスで京都駅へ向かい帰途につきました。
実は、さきほどこのブログをあらかた書いたところでいきなりブラウザ(Firefox)がダウンして大半を書き直すことになりました。
こういうのは、ちょっと疲れますね。このはてなブログはマメに保存するのも結構手間ですが、書いた物が殆ど無くなって書き直しとなるとかなりのショックですね~。
ともあれ、火曜日の大阪への出張からはじまって、翌日勤労感謝の日の大阪堺の聖なる旅と参加したイベント、京都の宿泊。さらにこの日の京都の旅と盛りだくさんでした。ありがとうございました!
大阪堺の大鳥大社、仁徳天皇陵古墳、開口神社 2016.11.23水曜日勤労感謝の日
22日火曜日に仕事で大阪に来ました。
23日水曜日は勤労感謝の日でお休みなので、そのまま滞在して大阪堺の聖なる場所を巡りましたよ。
それで今日、今年の十一月二十三日は、二の酉の日という事でお酉さん本場と思われる大鳥大社を訪ねます。
宿泊した難波のほうから天王寺へ出て、そこからJR阪和線の鳳(おおとり)駅に降り立ちました~
読みは同じオオトリですが、漢字は神社と駅で違うのですね。
大阪堺の大鳥神社
駅から歩いて程なく神社へ到着~
今日は天気の良かった昨日とは変わって曇り空で肌寒いですね
大鳥大社(おおとりたいしゃ、正式名:大鳥神社)は、大阪府堺市西区鳳北町にある神社。式内社(名神大社)、和泉五社の1つで和泉国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
日本武尊が白鳥になってこの地に来られたことで社が出来たと言う
恐らくはこれが正門?と思われる鳥居のところにある狛犬
境内は結構広くで、建物を方角別に示す標識が建てられています
こちらが本殿です
賽銭箱の正面についている鳳?
こちらが拝殿になっています
下の門の奥に見える屋根が本殿です
実は、二の酉にあわせて酉の市が立って熊手を売っているのだろうと期待していたのですが、全くそういう風ではありませんでした~
熊手を売っている酉の市って江戸っていうか関東の風物なのですかね。
ご朱印を頂いて、次はどこに行こう、、
そう、堺と言えば
あの世界最大の陵墓
仁徳天皇陵古墳
正式名称:仁徳天皇百舌鳥耳原中陵(にんとくてんのうもずのみみはらのなかのみささぎ)
を前から拝みたかった!
ウィキペディアでは学術的?に以下のようなヘンな記述がされている:
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として第16代仁徳天皇の陵に治定されている。名称は「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」や「仁徳陵古墳」とも[2][3]。
大理石の模型
拝所はちょうど下の写真の事務所の赤い丸印がされているあたりにあります。
↓ここが拝所。巨大すぎて岡のように見えます。でもさすが世界最大の墳墓でしかも古の我が国天皇の御陵である。すごい雰囲気を感じます。
この辺りは学芸員さん?なのかガイドしてくれるおじいさんたちが何人かいて、わたくしが鳥居の前で眺めているといろいろ教えてくれました~
その方に拝所をバックにワンショットの記念撮影をお願いした。でもスマホの扱いがわからないのか動画になっていた。でも、一生懸命ご対応いただき有難うございました~
そこから、適当に歩いてから路線バスに乗って堺東駅へ
そこから割と近くに開口神社があったのでそこまで更に歩きます
開口神社
開口神社(あぐちじんじゃ)は、堺市堺区にある神社である。通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれている。堺南組(大小路以南)の氏神社。式内社で、旧社格は府社。
与謝野晶子のゆかりの地だそうで石碑がありました
あと、堺といえは戦国時代の自由都市というイメージがあります。
大河ドラマ『黄金の日日』
今やっているNHK大河ドラマ「真田丸」の脚本家三谷幸喜が黄金の日日のファンであったそうで、主役を演じた松本幸四郎(当時は市川染五郎)をおなじ納屋(呂宋)助左衛門の 役で登場させましたね。
その政党の地元集会は米国次期大統領の話題で面白かったのでそれについては別のブログに書きます。
ところで、彼らによれば市が百舌鳥古墳群をユネスコの世界遺産に登録しようとして既に60億円を使っているという。
更に、ユネスコの要請をクリアするには周辺の既存建物の移転もあって巨額のマネーを期待する関係者があるのだって。要は利権だ。
また、保守の側からすれば元から自分たちが大事にして来たもので、今後も大切にするのだから外の組織に登録して守る物でもなかろう との事で世界遺産登録に反対との事です。
それから電車で北上して大阪梅田で食事しましたよ。
俗なるグルメ
ぼてぢゅう梅田店
プレミアムミックス月見焼
十番稲荷リニューアル後 スピリチュアル専門書店ブッククラブ回 2016.11.20日曜日
昨日土曜日の夜、明大前のBJJ道場のちょっと早い忘年会で盛り上がりました。
体力を惜しむおじさんは二次会には出ずに早々にに帰途につきましたが。
ところが、来るときに駅まで自転車で来ていたことをすっかり忘れており、翌朝になってそのことに気がつきました~
それで大江戸線の麻布十番駅付近まで自転車を取りに行きましたよ。
十番稲荷リニューアル
そのときに十番稲荷がリニューアルされていました。
いつもお水をかけてお詣りしていた「かえるさん」の石像は、場所が変わって水はかけられなくなりましたよ。
水で石像が痛むことと、蚊が出たり水の管理が大変だからだって、、、
ひしゃくでお水をかけるがとても楽しかったですが、ちょっと残念です。
今月二十三日は二の酉で熊手がかえるようです
そして、今年は三の酉は無い年だと注意書きがありました
宝船も工事の間、見れませんでしたが、今はまた歩道から見れます。
前よりも見やすくなった気がしますが、こちらも何か変わったのですかね。
ブッククラブ回再訪
先週の土曜日に訪れたスピリチュアルブックストア ブッククラブ回へ再度本を買いに行きました~
場所は、青山一丁目駅(青山通り)から渋谷方向へ進み、左(南)へちょっと入ったところにあります。青山通りに平行している細い路地に赤いピラミッド?がある建物の地下です。
わたくし長いこと立ち読みして、今日は、神智学の本と、ダウジングロッド付きのダウジング本、それから来年の星ダイアリーを購入しました。
ここは読みたい本が沢山置いてますが、場所自体にとても良い磁場のような物を感じますよ。
お店のある敷地には赤いピラミッドがあります。
外から地下のお店へ降りて行く階段が見られます。
本日、お越し頂きました聖なる本たちございます:
「あやしいですね~!たのしいですね~!!」
愛宕神社二百四十七回目
不忍池辯天堂、五条天神社 2016.11.18金曜日
東大から不忍池へ
今日は東京大学本郷キャンパスでランチを頂いて、普段は使わない池之端門から出ましたよ。
その後は、まだこの聖なる場所を巡る日記に書いていない神社も訪ねたので早くもこちらのサイトにカムバックです。
池之端門の横には井戸と神社があります。
境稲荷神社
東大の塀に面して神社があります。社殿と鳥居の位置からすると後で配置換えされたのかも知れないですね。
今は小さな社ですが趣がありますね。以前はこの辺の鎮守だったそうです。
ここにも、ここでの商売が上手く進むようにお役に立てるように祈願しました~
不忍弁財天堂
へ、、、
ここは上野寛永寺のお堂になるのですね~
不忍池辯天堂は、天海大僧正が琵琶湖竹生島になぞらえて、寛永年間に不忍池に中之島を築き、その地に建立されました。(現在のお堂は昭和三十三年に再建。)
御本尊の八臂大辯財天(はっぴだいべんざいてん)も、竹生島の宝厳寺から勧請(かんじょう)したものです。
スマホのシャッターのタイミングがあわなったようでピンぼけです。
はっきり写っていないですが、琵琶湖の竹生島から勧請された弁財天のご本尊です、それはそれでお姿が観られるだけでも有り難いと思いますよ~
五条天神社
それから、お寺の方へは上がらずに池から向かって左手の五条天神社へ
日本武尊が創建したと言う古い神社です
弓道場が敷地内にあります。他にも華道などの習い事が出来るようです。
手水社
ここから上に上がると
花園稲荷神社があります
花園稲荷にある穴稲荷 ここはすごい雰囲気がありますね~
時は寛永、天海大僧正が寛永寺創設時に忍ケ岡の狐が住処を無くしていたのを見かねて洞を掘り祠を建てて祀った物が穴稲荷の始まりです
平日に寺社巡りさせていただきました~ありがとうございます!
愛宕神社神社の千日参り
今日も仕事が終わってから夜に行きましたよ二百四十六日目!
言葉の記憶:
「進むことは力である 前に進みなさい」
って今日のお言葉でした。ありがとうございまっす!
前進します。
素晴らしい一日を。
「聖なる場所を巡る」ブログについて 2016.11.16水曜日
昨年から、もともとは起業のブログをはじめました。
その中で聖なる場所巡りについて始めたのは下のブログからでしたよ:
それから、聖なる場所を巡る日記としてこのブログを上げたのが今年2016年の3月3日だったのですね~
ルーティンの日記は元の起業日記のブログに戻します:
またどこか特に寺社に出かけたときは旅の記録としてここに書きま~す!