聖なる場所を巡る日記

東京都港区の愛宕神社への千日参りと、日々訪れる聖なる場所についての日記

聖なる場所を巡る 平日午前の麻布十番稲荷、夜の愛宕神社- 隣は何をする人ぞ 2016.3.8

午前の麻布十番稲荷
昼前に十番稲荷の前を通ったのでお参りしました。
 
いつもは日曜に拝むカエルさんの像です。この日は平日の火曜日、晴れていて気持ちが良かった。

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柄杓でお水をかけました。小春日和でカエルさんも気持ちの良い事でしょう。
 
十番稲荷の参道(階段)の右手にある七福神の宝船
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これも、今まで気がつかずにスルーしていました。やっぱり聖なる場所を見ぐりだしてからはいろいろなものに気がつくようになってきましたよ。
 
夜間の愛宕神社、隣は何をする人ぞ、、、
その日は仕事が終わってから愛宕神社へ行きました。
男坂の上がりだしてすぐ左手にある碑
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こちらも石段の左手にある石灯籠
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ほぼ毎日来ているのでいろんなものが被写体になります。

 

この日は夜の7時くらいでしたでしょうか。
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本殿のあたりです。
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この日は、夜の時間に神社に来てなんか違和感のようなものを感じました。というのはこれまで夜の時間帯に来ても人はほとんどいないのですが、何故か神社に来ている方々がいる。そのせいだろうか?

階段トレーニングの外国人
まずは、出世の石段で階段上りのトレーニングをしていた外国人の二人。会話は英語でした。一応、長い事、外資系で働いて来たので英語はわかります。石段の上がり口にはトレーニングではつかうなという看板があります。
 
彼らがそれを知っているかどうか知らない。僕自身は人の迷惑にならなければ別に構わないと思っている。一人は黒人の方でものすごい速度で石段を駆け上がってましたよ。なんかの選手なのでしょうか。
 
実は自分も神田駿河台に住んでいた頃は神田明神男坂で階段ダッシュをしていたものです。その頃は両手に4kgのケトルベルを持ってやったこともあるな~。最近は愛宕神社の石段をふつうに上がるだけでもかなりの運動と思っております、、、
 
夜の境内の池
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やっぱり何かの気配を感じます。龍だといいのですが。
 
若いリーマンが夜の参拝?
そして、境内でお参りしている一人で来ていた若いサラリーマン風。なんで、この時間で一人でと思ってしまいます。もちろん、夜に神社に来ていけないわじゃない。そういう自分もそうなのですが、こちらは千日お参りすることを目指してきています。本当に申し訳ないのだけど、一見パッとしない感じのサラリーマンのお兄さんで、いわゆる神社オタクでもなかろうと思うのだけど。なんだか神経に触る感じの方で、ちょっとウザい気がしましたよ。ごめんなさい。
 
男二人ずれ国籍不明、、、
そのあとにまたスーツのサラリーマン風の男と、なんとなくフツーの普段着の割と若い男の二人連れ。挙動を見ると普段から神社参りをしている人たちではなさそうだ。日本人ではないのかもしれないと思った。そういえば、この間もよるに中国人と思われる団体が夜に来ていたが。
 
こちらも夜の池。この日は夜も晴れていた。
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その後で制服を着た若い巡査が来ました。パトロール?外国人の階段トレーニングは黙認しているようだった。
 
白ネコさんは、やっぱり段ボール箱でお休み中。
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今日は珍しくお顔を撮れました。
 
夜の神社での他人との遭遇
たいていの神社は寺院と違って夜も解放されているので誰でも中に立ち入れる。夜に神社へ参拝に来るのはふつうは何か事情があると思う。たとえば、観光で東京に来ていて夜になってしまったとか。あるいは、何か特別な儀式のためとか。
 
儀式といえば、自分の千日参りもそんなものだ。以前、深夜の神田明神でずーっと長い間何かを唱えている若者がいたり、お百度を踏むようなことしている若い人がいて何をしているかと思った。その頃は神社に立ち寄ったが商売繁盛の祈願くらいで、今のようにスピリチュアル系にはハマっていなかったので、夜半に若者がそういうことをしているとちょっと訝(いぶか)しく思ったもんだ。
 
まあ、今は自分が聖なる場所めぐり、千日参りを日課として、「龍」や「天狗」の気配を感じようとしているわけですがね。なんかそういう場所でそういう時に遭遇する人とは、波動の合う人と、そうでない人もあるような感じかね。
 
あるいは自分がそこにいることを邪魔されるのを疎んでいるかも、、、だとしたらそこにツキを見出すようにならないとね、と思う今日この頃でした。