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聖なる場所を巡る日記

東京都港区の愛宕神社への千日参りと、日々訪れる聖なる場所についての日記

聖なる場所を巡る 宇佐八幡宮 2016.8.15月曜日 終戦の日に思う

わたくし、福岡県の出身ですが、訳あって大分に帰省(?)しております。

それでせっかくですから全国四万(と空港バスの車内案内で言ってました)の八幡様の総本山宇佐八幡宮に参りました~!

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八幡総本宮 宇佐神宮

主祭神は以下の3柱。

いずれも上宮・下宮の両方に祭られている。

 


羽田空港から大分空港へ。そこから空港バスで約1時間で到着。

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式内社豊前国一宮、勅祭社の格式の神宮です。これまでに、もう4回は来ていると思いますよ。

 入口からの参道
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参道脇にある宮本武蔵二天一流の石碑
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へ~そうだったのですね~!
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朱い橋を渡ります
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次の参道
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本殿である上宮へ進む石段
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この門の龍の彫り物。よく見ると魚のような姿です。もしかすると登龍門でしょうか?
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ご由緒
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二の御殿
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参拝は一般と異なり、二拝拍手一拝を作法としている。


御神木
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奥宮である大元(おもと)神社への遥拝所からの眺め↓ 
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大元神社 (おもと-) - 奥宮

境内南方に立つ御許山(おもとさん)山頂に鎮座。御許山は、比売大神が地上に最初に降り立った地とされている。3つの巨石を比売大神の顕現として祀る

ここぞ、大分のパワースポットって気がします。いつか行ってみたいですね~

 

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下宮の側面
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八坂神社 素戔嗚をまつる摂社
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境内に巨木があり、気持ちを引かれて帰り際に立ち寄りましたが、この辺りはつよい臭気があって今日はこの社では参拝はしませんでした。

こういう感覚は大事にします。そしてそこに何らかの理由を想い、それを前向きに受け止めて感謝します。

 

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 武内宿禰をまつる男神社↑

 武内宿禰とこの地方には以下のような伝承があるようです:

応神天皇9年4月条

天皇の命で武内宿禰が筑紫へ百姓の監察に遣わされた際、弟の甘美内宿禰が兄を廃そうとして天皇に讒言した。天皇武内宿禰を殺すため使いを出したが、真根子壱伎直祖)が身代わりとなって殺された。武内宿禰は朝廷に至って天皇に弁明すると、武内宿禰と甘美内宿禰探湯で戦うこととなったが、武内宿禰が勝った[2][注 4]

 

 

宇佐神宮の朱印

これまでで初めての経験ですが、朱印の日付を入れ間違えたとの事で修正してくれていた。それで、御代はいらないとの事。稀な事であろうからツイてるって思います!!

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終戦の日に思う

昨日、靖国神社へ参拝した。終戦を話題とするテレビでは、必ずと言っていいほど8月15日の玉音放送からある一部「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」だけが流れる。

最近これを聞くとメディアのある意図を感じます。天皇を中心とするかつてのこの国で耐え難い辛いことがあったのだという刷り込みである。

ただ日本のみが悪いことした挙句に苦しい敗戦を迎えた言う思考停止への誘導である。

そう思うのは今年の昭和の日に靖国神社で終戦の詔の全文を読んでからだ:

昭和天皇の終戦の詔(みことのり)が伝えるもの

さて、 今日は嘗て天長節と呼ばれた天皇誕生日だった日が国民の祝日となった昭和の日です。昭和天皇大東亜戦争終結の詔(みことのり)の全文が展示されていました。所謂、玉音放送の内容です。

大東亞戰爭終結ノ詔書 - Wikisource

下のサイトがこの詔の全文を原文、読下し文、現代語訳で、その内容をよく伝えています:

昭和天皇の玉音放送の全文 | 情報 | Rosenkranz(ローゼンクランツ)

わたくしも、昨日、自分が「堪え難きを耐え」しか知らないという衝撃的な事実に気付きました。

今回観た、遊就館の全文は読下し文でした。その中で特に心に残った最後の部分を引用します。

よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。

 あの時に、よくぞこのようなお言葉をお残し頂いたものです。「任重くして道遠きをおもい、、、」戦後、日本は壊滅的な状況から確かに復活し、繁栄しました。それは、この意志を直接、間接に受け継いだ方々が、それを体現するべく総力を建設に傾けた故でしょうね。そして、日本は、戦後、意図的に埋め込まれたさまざまな自虐意識にもよらずに、この復活を成し得ました。それは、日本人が歴史の中で持ち続けてきた民族としての霊性という遺伝子と、その御霊の導きがあってのことと信じます。

第二次大戦後の体制が今も世界で続いていることを考えれば、我々日本人の「任重く、道遠き」は、今も現に続いていると認識するべきと思っています。それを前向きに引き受けて世界を変えることが使命であると自らに任じます。