聖なる時空を求めて~奈良 天河大弁財天、洞川、吉野をレンタカーで旅する 後編
この夏、聖なる場所を訪れるために東京から奈良へやって参りました。
その後編、1リッター車のレンタカーで一泊の気ままな旅、気分はロードムービーのようでしたね
洞川温泉で朝の散策
天河大弁財天の宵宮祭りの夜になんとか素泊まりで泊めてもらえた
そこを起き出して、朝の温泉街を散策する。
素泊まりだと当然ながら朝食もない、、、きっと何か食べるものがあるお店があるだろう、、、って街道沿いを歩きました。
この川べりの温泉地を温泉地で特有の下駄の音を立てて闊歩する。
なんとなく鄙びた温泉街がノスタルジーを呼び起こしますな~
山伏用品のお店発見!
街道沿いに歩くと面白いお店を見つけました。山伏の装束などが陳列されている。
山伏の胴衣はなかなかかっこいいな~
あと山伏山が腰から垂らしている毛皮の布、、、「引敷」っていうのですかね、野外で腰掛けるときに便利そうですよね。
お店の本業は陀羅尼助丸という生薬のお店のようですね。そういえば子供の頃お腹をこわした時に誰かのお土産で頂いたと言う、似たような薬を飲んだ記憶があります。
それから、更に街道沿いに歩いて、喫茶店を見つけてそこでホットケーキとコーヒーにありつきました。店内で修験道について書いてあるムック本を眺めた。
何で人は修行に入るのでしょうね、、、なんて考えてみる。
そして宿にもどり、せっかくなので朝風呂もいただいてから、宿屋を後にした。
大峰山 龍泉寺
昨晩、温泉街の入り口まで原チャリで迎えに来てくれたおじさんにこの辺の見所を聞いた。それで、この街の中にある龍泉寺に立ち寄ることにした。
龍泉寺(りゅうせんじ)は奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派の寺院で、旧当山派の大本山である。山号は大峯山。吉野の竹林院、桜本坊、喜蔵院、東南院と共に山上ヶ岳にある大峯山寺の護持院の1つ。本尊は弥勒菩薩。近畿三十六不動尊霊場第31番札所。
昨晩この地にたどり着いたときは知らなかったのですが、ここは修験道の聖地なのですね~
車を止めた駐車場からは境内にある八大龍王堂が近いようだ。まずはそちらを訪ねます。
どうも、わたくしは龍に親しみとありがたさを感じるのですよ。それは自分が辰年生まれだからですかね~
↑は、八大龍王堂の龍の彫り物
八大龍王っていうのは龍の王様のなのですね。元はインドの龍神さま(あるいは蛇神)ようですね。名前のように八柱?の竜神さまなのですね
法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。 霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。
回想:中学生のときの「八大龍王にまつわる体験」
そういえば、北九州市にいた中学生頃、地元のスパルタ塾?みたいなところに通わされたことがある。
その塾の経営者(先生)はかなり個性的な人で、なぜが教室には八大龍王と書かれた神様のような人の絵の額が掛かっていた。その神様の絵は、今から思えば神社の神像のような感じだった。
その塾の経営者先生が師事している大先生がたまにやって来た。その方は、白衣に錫杖を持った行者のような出で立ちだった。
当時、聞き覚えた音だけで、今も覚えているのだけど、「おんめい けいしゃり そわか」と聞こえる不思議な詞を唱えていた。
これはネットでしらべると八大龍王の真言にかなり近い。
その大先生が来ると、中学生の塾生達に不思議なお話やある種の行法みたいなことやらせていたような記憶がある。
おぼろに覚えているのだけど、電気を消した教室で錫杖打ち鳴らしつつ、呪文(真言?)ではやし立てて、生徒達の組んだ腕が勝手に頭上に上がってゆくとか、、、今にして思えば「霊動」のようだ、そして、みんな腕が上がっていた。
わたくしはそういう事への猜疑心の強い少年だったからか、他の生徒のように腕は上がらない、、、その先生がやって来てガーってわめくので結局組んだ腕は上がった。しかしそれは、法術の力と言うよりも、自分だけ上がらないことへの焦り、はやし立てられ急き立てられた事で上げざる得なかったようにも思う。そんなことを思い起こす。
これも催眠術のメカニズムを知っている今にして思えばだけど、それはある種の集団催眠だったのじゃないかと思う、、、ってな、フラッシュバックしてきた昔話が長くなりました。
龍泉寺から遊歩道へ
ここにもお滝場ありました。とても清涼そうな水です。
お滝場の上へ行くとそのまま山に向かう遊歩道になっていました。
それを進むと断崖絶壁に吊り橋が!
わたくし、高いところは苦手ですが、これもある種の体験と思って反対側へ渡りました~
結構揺れますね~足がすくむ~
向こう側に着くと、後から年配のご婦人が渡ってきた。おはようございます~と挨拶を交わす。ちょっと世間話をしてその方は元来た道を戻っていった。
龍の口伝説
境内に戻ると、「龍の口伝説」の岩というものありましたよ。
下の立て札にその物語が書かれているが、なかなかエグいお話し、、
いや、それは愛情ぶかいお話しなのだろうか?
最後に本殿で役行者さまや空海さまにご挨拶して、御朱印帳に判と奉拝の揮毫をいただき龍泉寺を出て洞川をあとにする。
龍泉寺を出て吉野に向かう事にした。カーナビで調べるそれほど遠くはなさそうだ。
再び天河大弁財天へ
昨日宵宮祭りで訪れた天河大弁財天がオンザウェイだったので再度寄ることにした。昨日は祭りであまりゆっくりと見れなかったしね。
この日もお祭りの二日目で人出はいつもよりも多いようでした。
本殿はまた何かのイベントが始まるみたいだったけど、長くなりそうなので今回はそちらに行かず、境内をほっつき歩いた。
神社の横手に南朝黒木御所跡がありました。ここに南朝の御所の一つがあったのですね~
どうも、日本の歴史で、南北朝のころの事は判りにくい。
今回は南朝の都とされた吉野までの行くわけだが。
天河大弁財天は修験道の聖地ということもあってかかなり仏教的な趣を残している。
信者とおぼしき家族連れが神社の中で般若心経を唱えているのを見かけた。
ここは神社本庁に属さない所謂、単立神社のようですね。
金峯山寺から吉野町並みを歩く
天河大弁財天を出て、吉野へ向かう。目指すは金峯山寺!
カーナビに従って進むが、途中からかなり山深い道です。道幅が狭く対向車が来ると難儀だ。
無事に吉野の街に到着。
まだ、午前中で道も混んでいるわけでは無いけど、お寺の中の駐車場はいっぱいで空きがない。
しかたなく、街道沿いの民家?が提供している駐車場を使う。番をしているおばさん、に聞くと、一台1000円!その代わり一日中止めて良いよって。場所を見つけるのが面倒なのでそこを使わせてもらう。そのおばさん、なぜか割り箸の束をくれた。
金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峰山修験本宗(修験道)の本山である。本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角と伝える。
金峯山寺の所在する吉野山は、古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。「金峯山」とは、単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方二十数キロの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称であった。
有名な蔵王権現のご開帳の時期ではないそうで、巨大な像は垂れ幕が降りていて見えない。
権現様のお姿はこちら:
脳天大神 龍王院 へ
本殿を横に仏舎利塔がある。その辺はかつては南朝の御所があったそうだ。
そこから、石段を降りると 脳天大神 龍王院
がある。450段の石段で、降りたら登って戻ることになる。確か、健康のために石段に挑戦しよう、、ってな立て札があった。
それで、降りて行きましたよ。
石段の途中に、強大な独鈷のような、剣のようなものがございました
脳天大神 龍王院
首から上の病気に霊験! ―Miracle for any diseases of the head!―
金峯山寺の蔵王堂から西側へ急な坂を450段の階段で下りたところにあり、金剛蔵王大権現の変化神である脳天大神が祀られています。名称からすると神社のようで、参道には鳥居もあって祭祀も神式ですが、金峯山寺の塔頭のひとつなので正しくは「寺院」ということになります。
脳天大神は、頭を割られた大蛇の姿をしており、地元では「脳天さん」とも呼ばれています。この場所にお祀りされたのが昭和26年なので、歴史的に古い寺院と言うわけではありませんが、首から上の病気に霊験あらたかと言われており、頭の病気全癒、入学試験合格はもちろん、商売繁盛祈願などの参拝参詣者も多く訪れるそうです。
ここは神社だと思っていましたが、公式サイトでは塔頭ってなっていますね。
かつての神仏混交の頃は、大きな神社には神宮寺っていうお寺があったそうです。ここはお寺がメインですが、この脳天大神様は、昭和になって祀られたようです。
ここには、かえるさんの像が沢山ありました。何か由来があるのでしょうか?
こちらのお堂には、役行者さまなどの像がありましたが、今回の旅の中でいちばん何か目に見えない世界の存在を感じるような異質さがありましたよ。
450段の石段を今度は上がって金峯山寺の方へ戻ります。
吉野の街に戻って散策します。
提灯が掛かっている駐在所、、、なかなかの風情です
吉水神社へ向かいます
吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社である。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である[1]。
もとは金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となった。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。
ユネスコの紋章の入った石碑、、、どうも世界遺産って妙な気がするが、、、
↓ 街道沿いにあった吉野本葛の老舗のお店
ここでお土産に葛を買って吉野を後にする。
奈良の聖なる旅の仕上げに橿原神宮に詣でる
それからはひたすら大和八木方向に車を進める。途中橿原を通るので、
八木で無事にレンタカーを返して、近鉄線で京都へ。夏休みで海の日、三連休の最終日夕刻の京都駅の新幹線乗り場は旅行客でごった返しておりました。こんなときは、先に帰りの切符は確保しておいた方が良いですよ。
まあ、長くなりましたが奈良の旅の後編、おしまいです。
また、近々奈良を訪れる予定でっす。