令和元年十二月八日 東京都足立区の梅田神明宮で一日修行
梅田神明宮での一日修行に参加しましたよ。
足立区の住宅街にある神社は森があり長い参道もあってとても落ち着いた雰囲気がありました。
梅田神明宮
御 祭 神
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
井上正鐡霊神(いのうえまさかねれいじん)
御 由 緒
宝暦十二年の江戸大火の直後、当時地主神が祀られていた現在の境内に奉斎されたと伝はる。天保十一年に井上正鐡翁奉仕して息の行法を以て神道の極意を伝へた禊教発祥の霊場。
現代も続く教派神道の一教団と神社
ここは、教派神道の一つである禊教の井上正鐵翁にゆかりの神社です。
その時代は天保の大飢饉、大塩平八郎の乱、天保の改革などがあった時代なのですね。
その後に黒船が来たりして所謂幕末へ突入してゆく前段階で時世は不安定だったようです。
禊教教祖
井上正鐵翁は、白川伯王家に入門して伯家神道を修めた方です。独自の神道を唱えて飢饉などで苦しむ民衆を救おうとしますが、邪教の嫌疑をかけられて三宅島に島流しにされてその地で没してしまいます。
その教えが明治以降に神道十三派の一つとして認められ、現在も続いているのですな。
↓は井上正鐵霊神の祠
一日修行の体験
今回、この地を始めて訪れました。神社の隣というか同じ敷地(?)に会館があってそこが一日修行の会場です。
その修行の内容に極簡単に触れますね。会館の二階にある神前で、まずは永世の傳(ながよのでん)という呼吸法をしてから「トホカミエミタメ」という古神道の祓詞を全力発声で繰り返します。
また「禊教」という名称ですが、普段わたくしが行っております禊祓(みそぎはらい)の行とは違って水を使わないですね。つまり水をかぶらないのですよ!
それで、呼吸と詞、そして恐らく姿勢により禊ぎを行うのですね。先輩の方々や他の参加者のすさまじいまでの集中力を感じました。
そして全力で行える時間と休憩の枠がほどよく設定されており、自分自身も非常に良く集中して修行を行うことが出来ました。
この修行に参加したお陰で、わたくし自分の禊祓への取り組みが変わりました。それは、特に呼吸と発声です。それはとても貴重で有り難い経験となりました~
敷地内に井上正鐵翁住居が残っています。
天保年間というと今から180年ぐらい前なので、かなり修復を繰り替えているのかな?
そうそう、ここの一日修行ではお昼に麦ご飯、梅干し、たくわん、味噌汁が出て、最後の直会でも麦ご飯とお味噌汁と香の物でるのですが、それがとても美味しかったです。
この場所は雰囲気が良くまた来たい場所です。ありがとうございます!!
令和元年11月 聖なる場所を巡る日記 伊勢の旅その三 神武参剣道場
はい、今回の旅のクライマックス、神武参剣道場です。
伊勢の神人の剣術道場
伊勢神宮内宮の別宮、伊雑宮の向かいにある大きな日本家屋がその神武参剣道場です。
伊雑宮の宮司で伊勢の神人と言われた小泉太志命先生の剣術道場であります。
今回は、禊の根本道場稜威会の秋の旅行で伊勢に来たのです。小泉太志命先生は稜威会の創始者川面凡児先生とゆかりのある方だったのですね。
川面先生は明治から昭和の初期にかけて活躍した神道家ですが、その晩年に当時まだ若かった小泉太志命先生に対して「先生」と呼び特別に遇したそうです。
その後、小泉太志命先生は表には出ずに、天皇陛下を霊的にガードする役割をされたそうなのです。
ときの陛下を外国から呪詛で攻撃する事などがあったそうなのですね。そのような霊的な攻撃から陛下をお守りしたといいます。
毎日禊ぎをして、道場に立ち神剣で天皇陛下に向かおうとする普通の人には見えない裏側の力を邪霊として神剣をもって斬ったそうです。
下は道場内部の写真です。
この旅の発端は、神武参剣道場を訪ねた稜威会の関係者の話からでした。それは、彼の地で川面先生から小泉先生に授けられた水晶の玉があってそれを杯に入れてお酒を戴いたというのですね。それがとても素晴らしい経験だったので、会の旅行として行こうという企画になったのですね。
「伊勢の旅その二」の天岩戸で禊ぎをしたのは、この神武参剣道場にあがって拝神、神事(かむわざ)を行うためです。そのために全員で心身を清めたのです。
神人小泉太志命先生が剣術の稽古や教授した道場、天皇陛下を護るために神剣を振るった場所と思うと身も心も引き締まる思いで拝神の祝詞を奏上し、神事を行う。
そのあと、90才超えておられる奥方様がご健在で私たちを歓待していただきました。
ところで、小泉太志命先生は鹿島神流という剣術の達人であったという。
鹿島神流といえば今武蔵と呼ばれた国井善弥師範が有名だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BA%95%E5%96%84%E5%BC%A5
実はわたくしは鹿島神流の系譜の武術をちょっとだけ習った事があり、国井先生にまつわる逸話は色々と聞いていた。
その中で面白いのでは、神社の中で一人で取っ組み合いのような事をされて
「ここの神様強いな~っ」なんて事を言っていたそうだ。
国井先生にもそういう霊覚がおありだったのだろう。
聞いた話では小泉太志命先生の剣は国井師範をも凌いだという。
道場訪問のあとに小泉太志命先生の奥津城(おくつき、神道でのお墓)にも参らせて頂いた。
とても立派な奥津城でした。小高い丘全体が墓所でした。
今もとてもキレイに管理されています。多くの署名があって、伊勢の神人として地元の方に大変に慕われていたことが判ります。
墓所からの空、大稜威輝くお日様と天翔る龍雲が見えます。
今回も、とても良い旅をありがとうございました。
おまけ
神武参剣道場裏側の路地
「注意とびだし」と猫の絵がかわいかったので、、、
伊勢の神人は今も彼の地を護っている気がします。
令和元年11月 聖なる場所を巡る日記 伊勢の旅その二 天岩戸、おうむ岩、伊雑宮(内宮別宮)
伊勢の旅のその二
外宮から内宮を巡って宿泊先の志摩のホテルに向かいます
その途中で「天の岩戸」に立ち寄ります
あの天照大御神の岩戸隠れの伝説の場所だそうです。
実は天照大神が修行をした場所との説もあるみたい。
天の岩戸
伊勢志摩・英虞湾沿いの志摩磯部には「恵利原(えりはら)の水穴」と呼ばれる霊水が湧き出る場所がある
またここは「天岩戸伝説」が残る特別な場所でもあり、地元ではこのエリアを「特に霊気の強い場所」として大切に保存・維持しております
この鳥居の奥が「天の岩戸」らしい。
中は洞窟になっているという。
その中に入って禊ができるそうだが、、、
世界の真珠王御木本幸吉氏がここを信仰しており、
事業のピンチのときにこの洞穴の中で祈願して大成功をなしたという。
一方で同行でガイド役の人によれば中に入っていけないという言い伝えもあるという。
「思い立つ日が吉日吉時、向かうところは吉方吉所」の稜威会員である、
明日入ってみましょう!と啖呵を切る(^_^)
翌朝5時半に起きて皆でここに禊ぎに来る。
日曜日の朝であるのに到着すると先客がいた。
大阪から来ている団体との事
修験道系統であろか?
天の岩戸の鳥居の下側がお滝場となっている
先の団体が瀧行をしている間
天岩戸の前面で稜威会の神事(かむわざ)を奉じる
その間に更に別の団体も到着
彼らは地元人でここで禊行をやっているそうだが、洞窟に入ってその中で禊を行うそうだ!
洞窟は入り口は狭いが中はドーム状に広い空間があるのだって。
われわれが下の御瀧で水行している間、その団体は川上にあたる洞窟での禊を待ってくれていた。
こちらの瀧の禊が終わって、もう一方の団体の行が始まるので自分の洞窟での禊は断念した。
さて、今回の旅のメインは、内宮(皇大神宮)の別宮である伊雑宮(いざわのみや)の宮司だった伊勢の神人小泉太志命翁の神武参剣道場の訪問である。
一行は伊雑宮へ向かう、その途中にあるおうむ岩に立ち寄る。
おうむ岩
おうむ岩は、垂直に切り立つ大岩壁です。「語り場」から話しかけると、50m離れた「聞き場」に届くという不思議な現象が起き、まるで岩が話しているかのような聞こえ方をします。頂上は遠くに太平洋も一望できる絶景スポットになっています。
おうむ岩の頂上からの眺望
この日はとても良いお天気でした。懐かしい田園風景。
この辺も大昔は海底だったですね。
そして伊雑宮に到着。駐車場の前に田んぼが広がっている。
磯部の御神田
磯部の御神田(いそべのおみた)は、三重県志摩市の伊雑宮に伝わる民俗芸能の田楽。保護団体は、磯部の御神田奉仕会。1973年12月4日に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)に選択[1]、1990年3月29日に重要無形民俗文化財に指定された。また東海農政局による「東海美の里百選」に選定されている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%AF%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%BE%A1%E7%A5%9E%E7%94%B0
皇大神宮別宮 伊雑宮(いざわのみや、いぞうぐう)
神宮には十四所の別宮があります。
その一つがこの伊雑宮です。
主祭神:天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)
古い神社らしく森に囲まれた聖域です。
多くの巨木があります。
2千年前の古墳時代からの聖域、、、こんな巨木の中をあるくと神々しい気分になります。
苔に覆われた楠の巨木の根っこ?気が噴出しています
倭姫命(古事記では倭比売命、やまとひめのみこと。生没年不詳)は、記紀の編年に従うと古墳時代以前の皇族。第11代垂仁天皇の第4皇女。母は皇后日葉酢媛命。天照大神を磯城の厳橿之本(笠縫神社、檜原神社比定)に神籬を立てて、垂仁天皇25年3月丙申、伊勢の地に祀った(現・伊勢神宮)皇女とされ、これが斎宮の直接の起源であるとも伝えられている。
上之郷の石神
伊雑宮の周辺にはいろいろあるようです。時間があればゆっくり回りたいものだ。
そしていよいよこの旅のクライマックス、神武参剣道場へ!
伊勢の神人の剣術道場や如何に!?
その三につづく。
令和元年十一月 聖なる場所を巡る日記 伊勢の旅 その一 外宮、内宮
禊ぎの根本道場、明治時代から東京に本部のある稜威会の
秋の旅行で伊勢へ一泊旅行に行きましたよ。
2019年11月9日に東京の品川駅から新幹線で名古屋へ、近鉄特急で伊勢市駅に着きます。
伊勢市駅で旅行参加者が全員集合。
待ち合わせ時間に駅のすぐ横に神社を見つけました~
世木神社
http://sgshrine.blogspot.com/p/blog-page.html
外宮の参道?にある独特な雰囲気のある神社です。
外宮
伊勢市駅から外宮の参道になっておりました。
外宮にはかなり広い駐車場があって無料だって、、、内宮は有料らしい。
外宮の手水社へ向かいます。
もうこの時点でまわりの空気がビリビリしています。
ある種の霊気でしょうか、、、いや~すごい身体が反応しております!
さすが伊勢神宮の外宮!!
ちなみに今回ここに来るのは三度目です。前回来たのはもう10年ぐらい前かな、、、
橋を渡って外宮の森へ入って行きます
遷宮のスペース
ここが外宮
かやぶきの屋根と木の地肌のお宮に愛おしいほどの美しさを感じます
通常の神社では朱に塗った建物が多い気がしますが、伊勢神宮の木の地肌の建物が好きです。伊勢神宮がつくられた頃、垂仁天皇のころから色を塗らないのだろうか?
同行者に古神道や古史古伝の権威のようなお方がいたので聞いてみたがその回答がはっきりと思い出せない。たしか平安時代から色を塗ったではないかという事だったようなお話しだったかな
↓ は、磐座ですかね?、、、
ここは、ビリビリスポットでした~。手のひらをかざすとビリビリする。
そうやって僕らみんなで手のひらを向けていると、他の人も向けていた。
ただ、ここの職員によるとこれは目印のようなものなのだって。
↓外宮の境内の巨木。樹齢数百年でしょうね、、、神々しいです
来るときはいなかった神馬が厩におりました
内宮
外宮から内宮へ移動
おかげ横丁を通って内宮へ向かう
途中、神宮会館に立ち寄って禊ぎ用の褌、かんむり(はちまきの事)を購入する。とても良心的なお値段で褌は300円だった。白の胴衣も売っていたので買った。いずれも品質が良く安価であった。
皇大神宮(内宮)に到着
内宮を流れる五十鈴川、昔はここで禊ぎして参拝したそうだ。
別宮 風日祈宮
ご祭神は、
伊弉諾尊 の御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命、級長戸辺命。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしています。
風日祈宮に通じる風日祈宮橋 の上からは、美しい新緑や紅葉を望むことができます。
実はこの風日祈宮には初めて来ました~
内宮への石段
階段の上は撮影禁止でした~
おかげ横丁
再度、おかげ横丁を歩いて駐車場へ、、、
赤福本店
前回来たときは、内宮よりも外宮の方が、好ましいと思った。
なぜなら、内宮とその周辺にはあまりに観光客が多いのでそう感じたようだ
今回も似たような感じがした、、、、
しかし、伊與田覺氏の「人はいかにして大成するか 日本人の精神の源流「神道」と「中庸」に学ぶ」によると、
氏が終戦の翌年の正月に伊勢神宮に参拝に行ったら人影がなかったそうだ。
そして、当時はGHQの神道指令で全国の神社への参拝が減っていたそうだ。
それから見れば伊勢神宮のこの盛況ぶりは良い事なのかも知れない、、、
ともあれ、内宮は確かに聖なる場所だか、、、
おかげ横丁や周辺は人間的な俗な世界を感じる
まあ、聖と俗は表裏なのだろう。
その2につづく(たぶん、、、)
千葉神社 宇宙の中心の神様をお祭りする聖なる場所 2019年11月7日
千葉神社
今日は仕事で千葉に行きましたので、千葉神社へ参拝させていただきました。
以前も千葉神社へ行ったことを書いておりました~
千葉神社のHPによると
となっております。
わたくしは、神道の天之御中主大神こそが究極、根本の太神であると信じております。
古事記で最初に現れる神様ですね。
また、天御中主太神のひとつの現れとして大天照大御神があるともいわれます。
天御中主太神が
そして多神教の中心神、ギリシャ神話のゼウスや仏教の盧舎那仏、
中国の上天大極といった世界各国、各文化の中心の神、最高神にあたるとしております。
ですから、天御中主太神様を祀っている所では、是非ともお参りしたいのですよ。
関東ですと、埼玉県の秩父神社も妙見様つまりは天御中主太神を祀っていますね。
しかし、どちらの神社も妙見信仰のほうが色が濃いように感じます。
どうも長い間、妙見信仰であったものを明治維新の神仏分離でむりくり
天御中主太神としたのではないかなって感じがします。
妙見信仰は、北辰、つまり北極星が星々の中心であることから宇宙の中心と考えて信仰するようです。なので考え方は同じなのかも知れません。
ただ、わたくしは妙見信仰には何かちょっと支那っぽさを感じるのですよ~
摂社、末社が橋の向こうにあります
今日はあまり時間がなかったので、厳島神社のみでお参りしました。
龍をともなう女神様には現世利益的なお祈りをさせて頂きます!
すがすがしい秋晴れの朝の参拝できたことに感謝申し上げます。
川崎市の元住吉の住吉神社 2019年11月4日
元住吉の住吉神社
11月初旬の三連休は用事があって川崎市の元住吉に行ってましたよ。東急線の元住吉駅をでて住吉と言うぐらいだから住吉神社があるのかと思ったら案の定、駅からすぐの所にあったので参拝させていただきました。
線路に沿って参道?なっているようです。
向かって左が大きな会館です。
あとは地面が舗装されているので全体的に駐車場っぽく見えるが車は駐まっていなかったです。
拝殿は古いようですね。
ネットで今調べたのですが、御祭神は以下です:
ちょっと警戒しているね。
別の場所にも耳に印のある猫が車の上で気持ちよさそうにひなたぼっこしていた。
どの子も丸々しているので、きっと餌をくれる人がいるのでしょう。商店街も栄えているし、良い街なのでは。
↓は、明治、大正と使われていた「力石」だそうです。
巨石を持ち上げる事を競うのが当時の娯楽だったのでしょうね。
神事のような意味合いもあったのかな。
こちらはちょっと見にくいですが、仏さま系の石彫刻です。
神仏混合の名残なのでしょうか。
きっと昔はうまいこと融合していたのでしょうね~
カミ様とホトケ様~
文京区湯島の湯島御霊社 2019年10月15日
湯島の穴場神社?
今の仕事場は文京区の本郷です。10年ほど前にもその辺で仕事をしておりました。
今日はそのころ通っていたお隣のまち湯島の歯医者に行きましたよ。
その際に立ち寄った神社です。
湯島御霊社
京都の御霊社から御分霊を賜り、1710年に当地に遷座したとなっております。
御霊信仰とは
非業の死を遂げた人物などの怨霊の祟りを恐れてそれを鎮めることによって平穏を得ようとするものだそうです。
パンフレットによると、ここはハ所御霊としてかつての天皇、親王など八座がまつられているそうです。
そのうちの一つ火雷神(からいしん)は、菅原道真のことだそうです。
火雷神の読みは(ほのいかづちのかみ)ではないのかな~
白い玉砂利?が敷かれているところに狐像がありますが、お社はありません。
石の上のガマさんが印象的でした~
この神社はちょうど坂道になっているところに立っています。境内から下の方、、、蔵前通り方面は、大分高低差があります。
本郷台地にあたるでしょうかね。
ここは、住宅街の中で目立たない神社ですが本郷、湯島界隈の裏路地的な風情を感じます。
昔の仕事場のそばに来て、フト思い出して立ち寄った聖なる場所でした。