聖なる場所を巡る日記

東京都港区の愛宕神社への千日参りと、日々訪れる聖なる場所についての日記

聖なる場所を巡る 郷社氷川神社 愛宕神社詣七十九日目 参禅 2016.5.12

今日は晴れて素晴らしい朝です。朝の散歩とラジオ体操して、郷社氷川神社で朝の参拝です。

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穏やかな朝はとても幸せな気分になりますね。優しい気持ちになれば自分が与えられていることに気がつきますね。まずはすでに頂いているものに感謝する。自分が与えるものが自分へ与えられる。みかえりを求めても良いのですね。

今日、愛宕神社ではこの気持ちをお納めして感謝したいと思います。

 

愛宕神社七十九日目

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お昼に愛宕神社に来ています。今日は快晴です。カラッとしていますが暑いくらいです。今朝の気持ちをお伝えしました。

 

弁財天社であった共時性

境内の池の横にある、弁財天で長くお詣りしている女性がいます。わたくしが待っていると別の少し年配の女性が来て前の女性と入れ替わります。その後に更に年配の男性二人が別にやって来て自分の前におまいりしました。わたくしは、順番待ちをするように並んで待っていた訳ではないですが、自分がお詣りしようとしてから三人が間に入ってきました。普段は空いているところですが、四人待ったことになります。こういうのはよく起きますね。こういうことも、ある種の共時性だと思っています。

 

共時性は、「間」が起こす?

ずっと昔、店員のバイトをしていた時に、お客さんがレジに来る時間が集中する事がありました。その理由は何かわかりませんでしたが、人が同時に行動をとる間(ま)のようなものがあると思っていました。

そのような「間」は良い流れであれば乗って行けば良いのですが、良くない流れの場合が多いように思います。「二度あることは三度ある」は概して良くない事に使われるのではないでしょうか。そんな予感があるときは一旦その流れ、あるいは「間」を切る事です。

「間」はコントロールできる

間を切る方法は、その場でやらなくてよい事であれば、出直すとか日を変えるとかです。その時にやらないとならない事ならば、一度それを止めて十分に深呼吸するとか、バルコニーに行って新鮮な空気を吸うとかです。斎藤一人さんの「天国言葉」を何度も唱えるなんて今の自分には、いいと思います。

 

オーメン(きざし)」に気付こう

千日詣りなど、毎日同じ神社に詣でるわけですが、毎回何か神様が「しるし」をくれるのでそれに気がつくように注意深くいることが大事な気がします。それで、今まで気がつかなかったものが見えたり、些細な変化にも気がつくようになるようです。

そういうことの積み重ねで「流れ」や「間」が認識で来て、その対応ができるようになるのだと思います。

今日の白ネコさん
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参禅

今日は、参禅して来ました。近所にある臨済宗のお寺さんです。今回で三回目。
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月に二回の夜の座禅会です。静かで風通しが良くて座禅をするにはとても良い環境だと思います。先の連休中に「向源」のワークショップでならった事も試してみましたよ。

 

ご自分の癌治療にいくらお金を使いますか?

座禅の後は、お茶と茶菓子がふるまわれ、和尚さんのお話があります。今日は、もしも、自分が癌を患っているとして、最後の望みとして、かなり高額の抗がん剤の新薬で治るかも知れないとします。それで自分ならその治療にいくらまでお金を出しますか?ということでした。

嘘でも良いので答えてくださいって事で参加者一人一人に尋ねられました。抗ガン治療などしないとはっきりと言われる方もおられました。わたくしは、それで治る可能性があるのであれば自分が持っているだけのお金を投入して治療にあてるのではないかと答えました。まあ、実際そうするかは判らないですね。

この話はどうするべきとか言う事ではなくて、考えてみてくださいという事でした。なお、和尚さんの無二の親友が少し前に癌で亡くられたそうです。

 

参禅の帰り、通り道でもあるので今日二回目の元麻布の氷川神社に行きました。

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拝殿の門は閉ざされていますが、三つ巴の紋がきれいでした。

 

本日はどうもありがとうございました。まるで毎日旅をしているようです。感謝申し上げます。