聖なる場所を巡る 愛宕神社の千日詣り 百七十三日目 2017.8.24水曜日
さあ~相も変わらぬ愛宕神社の千日詣りのブログでございます~!!
でも、将来、千日やりきってブログも書ききったら少なくとも自分にとっては凄いでっす。きっとかなりの感動ですね。何か自分に課した事を達成した者のみが得られる感動。そんな感動は人生でいくつ持てますかね。
ってなことで本日が通算173回目の愛宕詣ででしたよ。ちなみに、京都ではなく、東京の港区の愛宕神社ですよ~。
本日も仕事が終わってからでっす!一旦帰宅して愛車Z125蒼天号駆って参りました!!
時刻は夜の9時半を回ってます。
もう遅い時間でほかの参拝客はありません。ゆっくりと時間をかけることも出来ます。でも、お願い事を並べ連ねるよりも、自分のココロのイメージ球と、聖なる場所との交信をメインにします。そうするとあまり時間もかからずに出来たりします。
番外、ココロとタマシイのイメージ
福岡空港まで無事に到着して帰りの機内で思ったこと:
この日のブログ前編にも書いた聖なる場所を巡る理由は、「魂の向上のため、自らの内なる分御霊(わけみたま、つまり魂)を大霊へと繋がる聖なる場所へ運ぶ」という事に思い至ったのです。
もちろん、普段の生活や仕事等の日常のなかで人は精神的に成長するのですがね。
それから、心と魂に対して自分のイメージを持つことが出来ましたよ。心は、まあるい玉の様で、呼吸するように振動しています。大きさや色や形はフレキシブルに変化します。そして、その中に光を放つ魂が入っている。
このイメージでココロ、つまり精神と魂が自分の内側にあってそれが成長していると念じる事にしました。
今日の白ネコさん。またまたベンチにいましたが撫でてあげていると下へ降ります。
↓は、白ネコさん二号。ビビりの二号は写真撮ろうとすると逃げました~
逃げたというよりも、落ち着いて離れて行っていますがが、、、
その後は、地元の郷社氷川神社へ行きましたよ。このときの参拝で気がついたのですが、ココロの玉をイメージして参拝する際ですが、合掌した手から体に光のエネルギーがやって来ますが、それが自分の中を循環してまた聖なる場所へ戻る流れをイメージした方がより善い気がします。
言葉の記憶
そっかあ、出願したら約3ヶ月間の内面の旅に出るのかあ、
と気づきました!
ハラハラドキドキしながら、確信に近づいて、
今まで体験したことのない受験をしたいと思います。
そして、「人生ってこれだから最高」と味わいたい。
ある資格受験生から頂いたメッセージ 。「人生ってこれだから最高」って想いを人生で何度するでしょうね。それも自分次第って思います。