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聖なる場所を巡る日記

東京都港区の愛宕神社への千日参りと、日々訪れる聖なる場所についての日記

聖なる場所を巡る 朝の散歩 麻布山善福寺 昭和の日は靖国神社へ 表参道の秋葉神社 2016.4.29

今日は四月二十九日の祝日です。昭和天皇の誕生日で、ことしのゴールデンウイークの初日です。

 

音響のないラジオ体操

休日ですが、朝の有栖川公園へラジオ体操と散歩に出掛けましたよ。

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 今日は何故かラジオ体操の曲がいつものスピーカーから流れてこない。故障か人為的な間違いのようです。それでも参加者の一人がラジカセを取り出してごく小さな音でしたが体操を開始。遠くの人にはほとんど聞こえていないと思うけど、そこは毎朝通っているシニアの猛者連中です。音楽がない事をものともせずに体操ができます。大したものです。

 

その後、いつものように公園を一周して、それから郷社氷川神社へお参りに行きます。

 

麻布山善福寺

更に、今日は祭日で時間があるので、いつもと違うルートでゆっくりと帰宅します。それで、仙台坂を下って行き、麻布山善福寺に立ち寄りましたよ。

 

このお寺の墓地の入り口正面にある親鸞聖人の像。風格を感じました。

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 慶應大学創始者の福沢諭吉さんの墓所もここにあります。
 
親鸞聖人のよこにある、銀杏の樹。都内最大だそうです。
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善福寺の山門。
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本殿です
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この地所は、もともと弘法大師によって開かれ、その後親鸞が訪ねたことで浄土真宗のお寺になったそうです。そして、幕末には最初のアメリカ公使宿館があったとのこと。麻布には居住する外国人が多いですがその流れなのでしょうかね。
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参道に井戸がありりっぱな柳の木があります。
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 清水が湧く場所です。東京空襲の後で大変役に立ったそうです。
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昭和の日は靖国神社
家に戻ってから、今日は昭和の日であることから、思い立って靖国神社へ向かいました。

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午前10時から昭和祭とのことですが行事は社殿の中のようで外からは見れませんでした。

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普段休みの日に来ると行列が出来ていますが、まだ朝のためかそれほど参拝者は多くありません。

 

靖国神社遊就館

お詣りをして、遊就館を見て行きます。

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遊就館の鯱(しゃちほこ)?狛犬のように阿形と吽形となっているようです。

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ロビーに置かれている復元された零戦。各地に現存した部品などを集めて復元したそうです。大変な苦労であったろうと思います。
この隣にあるカフェテリアで海軍カレーをいただきました。

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明治41年のレシピでつくられている海軍カレー。カツはオプションです。確かに昔っぽいカレー。とても美味しかったです。

 こちらは、食後の海軍コーヒー。独特な味です。ストレートよりもミルクと砂糖をいれたほうが飲みやすいと思いました。往時の雰囲気が楽しめます。

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食事をして、遊就館の常設展示コーナーへ入場します

遊就館 - Wikipedia

館内は撮影はできません。

遊就館では、上代から近代、現代まで日本の歴史を再認識出来ました。現存する資料、物品から国に殉じた方々の真実を伝える大変貴重な場所です。

 

太平洋戦争ではなく大東亜戦争

やはり第二次世界大戦における大東亜戦争の資料、展示物が多くを占めます。ところで、わたくし、昔はあまり考えずに日本(にっぽん)が参加した第二次世界大戦を「太平洋戦争」と呼んでいました。しかし、太平洋戦争は、ハワイの真珠湾攻撃から主に対米国で太平洋上で展開された戦争に限定されます。そもそもThe Pacific Warというアメリカでの対日戦争の訳語のようです。

二十世紀の前半に日露戦争の後、日本が行った戦いについては大東亜戦争と呼ぶべきです。どうも、戦後日本を占領した側や、何故か日本を貶めたい人たちは、どうして「大東亜」の戦争と呼んだかを考えられると都合が悪いようですね。

 

昭和天皇の終戦の詔(みことのり)が伝えるもの

さて、 今日は嘗て天長節と呼ばれた天皇誕生日だった日が国民の祝日となった昭和の日です。昭和天皇大東亜戦争終結の詔(みことのり)の全文が展示されていました。所謂、玉音放送の内容です。

大東亞戰爭終結ノ詔書 - Wikisource

下のサイトがこの詔の全文を原文、読下し文、現代語訳で、その内容をよく伝えています:

昭和天皇の玉音放送の全文 | 情報 | Rosenkranz(ローゼンクランツ)

わたくしも、昨日、自分が「堪え難きを耐え」しか知らないという衝撃的な事実に気付きました。

今回観た、遊就館の全文は読下し文でした。その中で特に心に残った最後の部分を引用します。

よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。

 あの時に、よくぞこのようなお言葉をお残し頂いたものです。「任重くして道遠きをおもい、、、」戦後、日本は壊滅的な状況から確かに復活し、繁栄しました。それは、この意志を直接、間接に受け継いだ方々が、それを体現するべく総力を建設に傾けた故でしょうね。そして、日本は、戦後、意図的に埋め込まれたさまざまな自虐意識にもよらずに、この復活を成し得ました。それは、日本人が歴史の中で持ち続けてきた民族としての霊性という遺伝子と、その御霊の導きがあってのことと信じます。

 

戦死した兵士がメッセージを託した椰子の実が海を渡って届いた奇跡

フィリンピンの戦場から海を渡ってたどり着いた奇跡の椰子の実が展示されていました。以下、説明文です

 「ルソン島サンタクルーズにて戦死した島根県出雲市出身の陸軍軍属山之内辰四郎命(マニラ陸軍船舶司令部所属)が、戦死1年前の昭和19年7月、戦況いよいよ悪化し、マニラ市を退避するに当り望郷の念断ちがたく、病院船勤務の同郷の友、陸軍伍長飯塚正市の名も書き加え、マニラ湾に流したこのヤシの実が、31年の歳月を経て昭和51年3月15日戦友の住む大社町の港に漂着した。これを発見した同町の岡貞吉が、よくよく見ると墨書の「陸軍伍長飯塚正市君」と読み取れ、然も飯塚正市が出雲市に健在なるをつきとめ、ヤシの実は飯塚正市から山之内辰四郎命の未亡人きよ子の手に届けられ、夫人より神社に奉納された。
31年間の長い年月大海原を漂流し続けた悲願の籠るヤシの実は、こうして故郷にたどり着き、戦友と妻の暖かい胸に抱かれたことは、まさに奇跡といえよう」
こんなことがあるのですね。感動的です。水はひとの思いを伝える不思議な力を持っているのだと思います。
 
最後になりますが、わたくしの叔父が大東亜戦争で亡くなっています。航空母艦雲龍

雲龍 (空母) - Wikipedia

の通信兵であったそうです。実はそのことをすっかり忘れていたのですが、遊就館の艦船模型のコーナーで空母雲龍を見つけて思い出しました。自分の身にも靖国英霊の血が流れているのだなと思いましたよ。

 

靖国神社は国のため、愛する家族、仲間、故郷のために戦って斃れた人を命(みこと)として祀る聖なる場所です。これは素晴らしい事です。今、政争の道具にされていることは本当に残念な事ですが、日本人は誇りをもって詣でるべきです。

 

表参道の秋葉神社

夜は表参道で会食。その際に地下鉄表参道駅を出たところに「秋葉神社」に立ち寄りました。

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 下のブログによると、ピンチの時に助けてくれたそうですよ

www.elle.co.jp

 秋葉神社狛犬さん

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今日は昭和の日の祝日、GWの初日に様々な聖なる場所を巡りました。特に靖国神社遊就館の訪問は、今のわたくしにとっては本当にありがたい経験となりました。歴史的な視点で考えると自分個人の問題なんて小さい事と思えます。

 

本日も聖なる場所を巡り、そこでの出会いと気づきがあったことに感謝申し上げます!