2017年5月 聖なる島を旅するその3、宮古群島 - 伊良部島・下地島 鍋底での禊
宮古島の旅の続き その3
前回から:
の続きでっす
下地島の梅雨の晴れ間
霊能者って?
最近、霊能者なる人との関わりが増えたよ。スピ系にどっぷり浸っているからなのでしょうがね。
しかし、霊能者ってなんなのですかね~
ウィキペディアでは「霊能力」は下のように解説されている。
霊能力(れいのうりょく)とは、霊(霊魂)や魂、生霊、精霊などを感覚したり、霊的な力を行使して、通常の人間ではなし得ないことを行なうとされる能力のことである。単に霊能(れいのう)と呼ばれることがある。また、ほぼ同意語として神通力(じんつうりき、じんずうりき)、法力(ほうりき)等が用いられることもある。能力と呼べるほど自在に行使できるほどではないが、受動的に霊的なものを感知する感性は霊感と呼ばれる。超心理学の研究対象でもある。霊能力を使う者や霊感が発達している者を、霊能者(れいのうしゃ)と呼ぶことがある。
この解説では霊能力は、「神通力」や「法力」と同意としているが、その考えにはちょっと違和感がある。
霊を感覚する能力は多分に生得的な素質が強く、対して「神通力」や「法力」は人間が修行することで得られたり、何からの形で授けられるケースであると考えるからだ。
実際にわたくしが関わった霊能者は、そういう素質がもともとある人たちであるようだ。その人達は、非常に感受性が豊かで、しかも想像力の発達した人たちであると思う。
催眠療法で被暗示性のテストといって、暗示の掛かりやすさをチェックする方法があるが、感受性が豊かで想像力に結びつく人は非常に被暗示性が高い。霊能力者と言われる人や、そう自称する人はなべて被暗示性が高い人たちであろう。
霊能者と言われる人たちは、それが霊であれ、人間による暗示であれ外部からの影響にさらされやすい人だと言うことだろう。
古来このような過敏体質で、憑依されやすい人たちが神がかりして予言を述べたりしてきた霊媒という役割を担ったのと考えられる。
つまり、霊能者と称される、称する人たちは外からの影響力の媒体となって操られている憑依現象である事が大半のようだ。
外からの憑依、それが神というものであれば彼らは審神者となりうる。しかし、それは、自分の意志の外からの力に対して抗いがたい定めを負っているようだ。
そのためか、これは一般論であるが、能力者と言われる人たちはあまり幸せではないように見える気がする。またそれ故の徳を備える方もあろう。
沖縄の霊媒「ユタ」と霊能者
さて、前回のブログで書いた、下地島でお話しした霊能力ある方は、現地の「ユタ」の活動を保存、支援しているそうだ。
ユタについてもウィキペディアに出ている:
日本列島弧において最もシャーマンの活動が顕著なのは東北地方と南西諸島である。もっぱら死霊の憑依を受けてトランスに入り、第一人称でその託宣を述べるものを一般に口寄せ巫女と称する。東北地方のイタコ等と同様に口寄せ巫女としての巫儀を展開している呪術宗教職能者は、南西諸島ではユタ・ホゾン・トキ(奄美群島・沖縄諸島)、カンカカリャ・サス(宮古列島)、ムヌチ・ニゲービー・カンピトゥ(八重山列島)等と呼ばれている
その方は、わざわざ出張先の東京から電話をしてきてくれた。
それで、はやり大神島に行くならば順番というものがあり、それを守るべきであるという。
そして、あなたが今回の旅で運転免許証を忘れたのは、今回は行くべきではないからだと仰る。まあ、それもあるかもな~って思いましたがね。
実はこの電話の前にホテルの人から、この日の日中にわたしが訪れた「通り池」の先に「鍋底」という場所があって、そこで禊ぎをしてから大神島に行くべきですと勧めらていた。
なんと、宮古島まで来て禊ぎか~!?(わたくしは今年から禊ぎの行をはじめているのである)、これも何かの因縁かなと思いましたよ。大神島に行きたいのでそうしたほうが良いのならそうしますと、既に申し込みをしていた。
しかし、この電話では、今回は鍋底の禊ぎをしてホテルでゆっくり休み、大神島には行くべきでないという。あなたが免許証を忘れたのもその知らせであると言うようなことを言われた。
まあ、大神島への港まで路線バスか自転車で行くのも大変かな思っていたので、今回はそれでも良いかなと思った。
さらには、この旅の後半で再訪する予定の沖縄本島の聖地「久髙島」にも順番に従って行くべきであると言う。
しかし、久髙島はすでに二回訪ねていることをその方に告げた。久髙島の訪問は、免許証の携帯は関係なく元から交通機関で行くつもりだし、今回ですでに三回目の所なので変更する気はない。
とにかく、遠距離電話のむこうで霊能者さんは、あなたは禊ぎの行などをやられているならば、順序やしきたりなどを大切にすることがわかるはずだという。
はぁ、まあそうですね~。それに今回、ちゃんと準備をしたつもりが、免許証を忘れたのはある種の符号と受け取れた。それで、この旅では大神島へ行く事はやめた。
話はちょっと飛ぶが、宮古島を発つとき、今回の旅では断念した大神島が帰りの飛行機の機内から見えた。上の写真はその時の機内からの撮影である。
大神島は、結局行かなかったけど、ご縁があるようです
むしろ、自分にとっては今回行けなかったことでこの場所の聖なる旅とその神秘性はさらに高まりましたよ~また来ます!!と機内よりご挨拶をした。
「鍋底」の禊ぎ
翌日の早朝、下地島の「鍋底」へ禊ぎに向かいましたよ。
↓下地島の朝日
一つ前のブログに書いた下地島の観光スポット「通り池」は、珊瑚でできた岩場?の一帯に木製の遊歩道が渡してあるが、途中から台風で壊れて無くなっている。
その先は、岩の上を「鍋底」まで歩いて行く。ダイバー用のシューズを借りて履いているが、岩の鋭いでこぼこが足裏に食い込んでとても痛い。足場が悪く転倒しようものならとがった岩で、まちがいなく怪我をする。それでさっさと歩けない。
下地島の「鍋底」は、神々のグローバルな集会場?
鍋底は、通り池よりもずっと小さいが、様々な形の岩が織りなす複雑な文様の中にある海に繋がる小さな池のような所だった。
これらの岩は、
などであるという。
実にインターナショナルな神々の場所である
この鍋底のスポットでは写真は撮らなかった。
別の方が、写真付きでここでの禊ぎの体験をブログにお書きになられている:
https://ameblo.jp/indigoemu/entry-12156132501.html
実際の場所の雰囲気がわかるますね。
大自然の造形中での海の禊ぎ
この奇っ怪な形の岩に囲まれた海に続く池は、まさに龍の住処のような雰囲気だった。
わたくしは、越中褌一丁で、頭に白い鉢巻き(かんむり)のみの禊ぎのいでたちでこの池に入った。
ほぼ裸体の状態でギザギザした鋭い岩肌をつたって池まで降りるのはかなり難儀であった。しかし同行してくれたガイドさんによれば下に降りた時間は結構早いほうだという。
ちなみに、このガイドさんは昨晩の電話の霊能者の方の妹さんで、さらには前日のホテルのスタッフとして応じた女性も霊感が高いそうだけどその方が一番上の長女だそうだ。つまり、霊能者の三姉妹なのでした~
なんとか鍋底の池に降り立ったとき一瞬、水面が波立った。「おおっ~」って感じです。人によっては洗濯機の中のように渦を巻くこともあるのだって。それがなんなのかわかりませんが、、、
この池の水(実際は海水)の中を思いを込めて七回回ることで禊ぎになるという。池の海側のほうは海に繋がっていて深いので泳ぐことになる。海に繋がっている部分は短い距離だがとても深そうだ。その奧には何かが潜んでいるような気もする。
ガイドさんが何周しているかをカウントしてくれていた。彼女によるとわたくしの右の腕からすごく泡が出ていたそうです。それも何なのかわかりませんが、きっと祓い禊ぎによるものと解釈します。
無事に七回を回り終えると、上の岩の天井からしたたってくる滴を口で受けなさいと言う。それでしばらく仰向けに浮いて水滴を口に受けるように大口を開けて待った。海水に浮かんでいるととても心地よい。
最後に願い事や祈りを捧げて上がってくるようにいわれた。
それで川面先生の禊ぎの礼法で柏手を打ち(八平手)、稜威会式の𠮷詞を唱えた。
いや~これは確かに凄い禊ぎの体験であった。海の砂浜、滝、桶の水行ともちがう。とにかく、この自然感はすごい。
これは本当に圧倒的でした~この体験の価値は大きい。
また是非ここに来て禊ぎしたいと思いましたよ。