山辺の道を歩く 大神神社→大和神社→石上神宮 その二
前回の続き、、、
大神神社を出てJR三輪駅から大和神社(おおやまとじんじゃ)へ向かいましたよ。
小雨の中、数分で到着しました~
ここは戦艦大和のゆかりの神社なのですね。
昭和20年に撃沈した時点で戦艦大和の乗組員数2736名おられましたが、その数にちなみ2736mm×1300mmの大きさの御影石に「戦艦大和ゆかりの神社」と刻み、安置しました。また同石碑の裏面には石碑建立の経過・目的・願いを表しています。
本殿横にある高龗神(たかおかみのかみ)社
私以外の参拝者は、若い女性が一人だけでした。授与品、御朱印の受付に誰もいなくてそのかたが係の人を呼んできてくれました~
境内には戦艦大和の資料館がありましたよ。中は大和のかなり大きな模型や絵画が置かれています。
前日に三輪の宿で一緒になった方が、大和神社はイマイチだったみたいな事を言っておられましたが、まだ境内の整備?が続いているような感じがしました。
天理は初めて来ました。JRと近鉄の両方の路線が入ってくる駅です。
お昼のにゅー麺だけでは足らなくて駅ビルの中で豚まんと餃子を頂きました~
お店の人に石上神宮まで歩いて行けますか?
って聞くと「結構歩きますよ」って言われた。道はほぼ一本道で商店街を抜けて天理教の本部過ぎて右の方だって。
まあ、時間もあるのでテクテク徒歩で行く事にした。
なが~い商店街は天理教の関係のお店が多いです。
神具屋さんも何件もありました。
その一軒で、正座椅子と神棚のお供え(水、塩、米)を置くための小さな台を買いました。
こちらが天理教の本殿のようです。とても巨大な和神殿ですね
わたくしは前を通過しただけでしたが、誰でも建物の中に入れるそうです。
下は、上の写真の反対側にあたる方向です。神殿への参道ようです。とにかく広大です。とても荘厳な感じですね
それから、この辺には下の写真のような巨大な建物がいくつも建っています。
神具屋さんで、あの建物は何ですか?って聞くと
遠方からの信者の宿泊施設で「詰所」というと教えてくれました。
一般人も宿泊できるようです:
下は、石上神宮付近からの街の眺め、、、
殆どが天理教関係の建物みたいです。
街全体が天理教の施設で構成されているみたいな感じです。
ずっと前にちょっと寄ったアメリカユタ州のソルトレークシティーみたい、、、
これだけの組織力をもつ宗教団体って凄いな~って思いましたよ。
そして、この町並みをみていると、前に読んだ村上春樹の小説を思い出しました。
タイトルを思い出せなのだけど、物語の中で登場人物が身を隠してこんな街で働いている設定があったように思う。
天理の街を横目に、ようやく、石上神宮(いそのかみじんぐう)へ到着~
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
参道です
ここは大和朝廷の武器庫であったそうな
本殿です
本殿の門 - 楼門(ろうもん)↓
摂社 出雲建雄神社(せっしゃ いずもたけおじんじゃ)
延喜式内社で、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています。
ここ石上神宮はたくさんの鶏が放し飼いにされているのだって
今年は酉年です。
それで正月の参拝者はいつもより多かったのだそうですよ。
ここで、この日の朝に大神神社で出会った遠足?の生徒たちに再度出くわした。彼らは大神神社からの山辺の道を踏破してきたのだ、、、結構な距離だろうね。
今度時間があったら山辺の道を通して歩くのも良いかも知れない。だた、そのときは天気の良いときに静かに進めると良いな~
石上神宮では「鎮魂」と「禊行」の研修があるそうですよ:
興味ありますが~
石上神宮からは、またテクテクと歩いて天理の駅へ戻り近鉄線で京都へでて東京へ帰った。
山辺の三社をまわれて感謝です。また行きたいですね~